マリアとミカエル


　マリアの家。大天使ミカエル、ひざまずいてマリアに蝋燭の火を捧げる。

ミカエル「聖母様、これは、ガブリエルがよこした天上の炎です」
マリア　「・・・・・・」
ミカエル「お迎えのお知らせとして、本当は天国の棕櫚の葉をと思って
　　　　　いたのですが、ガブリエルが、どうしてもこれを聖母様にお
　　　　　渡ししてくれと」

　マリア、天国の光を放つ蝋燭を受け取り、目を閉じる。

マリア　「あなたは、知っていたのですね」
ミカエル「・・・はい」
マリア　「あの頃のわたくしは、本当に何もわからない子供でした。人
　　　　　を愛することも知なかったのですよ」
ミカエル「お察しいたします」
マリア　「教会で暮らすわたくしのもとへ、ガブリエルは毎日来てくれ
　　　　　ました。わたくしにとって、ガブリエルがもっとも親しい存
　　　　　在だったのです」
ミカエル「・・・はい」
マリア　「しかし、あの御宿りのお告げ以来、ガブリエルもわたくしも
　　　　　、変わってしまいました。わたくしは悔やまれてならないの
　　　　　ですよ。あのとき、あんなに苦しんで訴えるガブリエルの愛
　　　　　に、なぜ応えてやらかったのかと。なぜ、わたくしは、身動
　　　　　きすらままならなかったのかと」
ミカエル「すべては、神の思し召しなのです。神はもともと、何もかも
　　　　　ご存知です。あのときのガブリエルの気持ちも、乙女であっ
　　　　　た聖母様のお気持ちも」
マリア　「！」
ミカエル「すべてご存知の上で、聖なるご意志を決行なされたのです」

　マリア、ミカエルから目をそむける。

ミカエル「あの頃から、ガブリエルは内気で真面目な天使でした。天使
　　　　　の中でも純粋な存在です。神はそれをご存知でした。そして
　　　　　、そんなガブリエルの苦しみを、すぐそばでご覧になってい
　　　　　ました。ガブリエルが聖母様を抱こうとしたとき、すでにあ
　　　　　なたは、神の手に抱かれていたのです」

　マリア、両手で顔を覆う。

ミカエル「おそらく神は、今こうして私達が話している内容をも、お見
　　　　　通しでしょう」
マリア　「むごい、あまりにも、むごい。ああ、ミカエル、死のお告げ
　　　　　に来たというのに、そなたはなぜわたくしを心穏やかにさせ
　　　　　てくれないのです」
ミカエル「失礼いたしました、聖母様」
マリア　「あなたは、いつも冷静なのですね、ミカエル」
ミカエル「アーク・エンジェルとは、冷たいものです。私達はひたすら
　　　　　神のご意志に従い、使命を果たすのです。たとえそれが、人
　　　　　間から見て冷酷無比であろうとも。それができず人間に肩入
　　　　　れした者は、堕天使となるのです」
マリア　「おお、ガブリエル・・・」
ミカエル「あのお告げの仕事は、神がガブリエルに与え給うた試練でし
　　　　　た」

　マリア、黙って泣き続ける。ミカエル、それを静かに見守る。

ミカエル「お泣きなさい、聖母様。あなたの生涯は、神に対し常に忠実
　　　　　でした。天国へおいでになるまでに、あと三日間ございます
　　　　　。この三日間を、いかが過されますか。お望みならば、六十
　　　　　年前のお姿に戻って、ガブリエルに会うことも可能ですよ」

　マリア、涙を拭いてミカエルを見る。少しの間があく。

マリア　「・・・弟子達に会いたい。彼らは、わたくしの子であり、兄
　　　　　弟姉妹でもあるのです。そんな彼らに、なんと苦労をかけた
　　　　　ことでしょう。死出の旅に立つ前に、せめてねぎらいの言葉
　　　　　をかけてやりたい」
ミカエル「聖母様のお望みは、必ず叶えられます。さあ、では、その蝋
　　　　　燭をご覧ください。天使の愛の炎です。人間のそれとは異な
　　　　　るでしょう」

　マリア、静かに、しかし鋭く広がる青い炎を見つめる。ミカエル、立ちあがる。

ミカエル「聖母様、あなたの試練はこれで終りです。では、三日後にお
　　　　　迎えに参ります」

　ミカエル、翼を広げ飛びたつ。マリア、天使の炎を見つめ、祈りを捧げる。 

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　《終》

ウフィツィ美術館（フィレンツェ）所蔵

テンペラ画　フィリッポ・リッピ『聖母の死のお告げ』より