マリアとイエス

 夕暮れ。十字架から降ろされたイエスを抱くマリア。

イエス「・・・どこかと思えば、お母さんの膝の上なのですね」
マリア「そうですよ。やっと戻ってきてくれましたねえ」
イエス「あなたに大きな親不孝をしました。私は、あなたを心の底から
   『お母さん』と呼んだことがなかったのです」

マリア「それはわたしのせいです。わたしは、あなたが生まれたとき、
    本当に母の喜びを感じたのか・・・。幼いあなたを抱くたびに
    感じたのは、神への畏怖のみだったのではないかと・・・」

イエス「いいえ、お母さんは私にやさしくしてくださいました。でも私
    は、あなたに甘え頼ることをしなかった。外ばかり向き天を仰
    ぐだけの馬鹿な息子だったのです」

マリア「あなたは、馬鹿ではありません。神の子なのですよ」
イエス「いいえ、私はあなたの子です。私のために祈り、私の心を癒し
    、私が流した血の何倍もの血の涙を流してくださるお母さんの
    小さな息子です」


 マリアの目から涙がこぼれる。

イエス「私は神の愛を悟ったつもりでした。しかし、お母さんの愛をわ
    かっていなかった。わかっていないことすら、気づいていなか
    ったのです」

マリア「さあ、もうどこへも行かず、この母と一緒に暮らしましょう」

 マリア、イエスの顔をなでる。

イエス「ええ・・・。お母さん、私はもう一度あなたから生まれたい。
    今度こそ、本当の親子として、あなたに甘えたい」

マリア「ええ、ええ・・・」
イエス「・・・ずいぶん暗いですねえ。もう夜ですか」
マリア「?いいえ、まだ陽がありますよ」
イエス「お母さん、お先に参ります」
マリア「どこへ行くのです。母をおいて、どこへ」
イエス「悲しまないでください、お母さん」

 イエス、目を閉じる。その頬に、マリアの涙が落ちる。

イエス「さよなら、お母さん」
マリア「おお、息子よ、わたしの愛しい息子・・・」
イエス「・・・」

 マリア、イエスを抱きしめたまま泣き続ける。


《終》

サン・マルコ美術館(フィレンツェ)
 フラ・アンジェリコ『哀悼』より