誘　惑 　

　　　月夜の園庭、若い男と女が歩きながら話している。

女「あたしは、不幸しか運んでこない女よ。すること成すこと、みんな
　　悪いほうに行く運命なのよ」

　　　男、何本目かの煙草に火をつける。

女「初めは、みんな親切そうに近づいてくるわ。でも、いつも同じよ。
　　すぐ飽きて、捨ててしまうんだわ。みんなそうなの。あんたもきっ
　　と、そうなるわ」
男「そんなことはない」
女「そして、取り残されたあたしは、前よりいっそう惨めで醜くなるの
　　よ。もう、生まれたときの十倍は、醜くなってるわ」
男「君は、きれいだ」
女「同情してるの。奉仕のつもりなのね。それなら、よしたほうがいい
　　わ。疲れるだけよ。あたしは、つまんない女よ。だからあたしを好
　　きになる人なんて、誰もいないのよ」

　　　男、女に一歩近づく。女、後ずさる。
　
女「あたしは、あんたを不幸にするわよ」
男「いいさ。したけりゃ、しろよ」

　　　男、手近の庭石で煙草の火をもみ消し、女を抱き寄せる。


　　　翌朝のテラスにて。夕べ二人のいた園庭を望む。
　　　女、テーブルにつき、紅茶を飲んでいる。男の姿はすでにない。

女「まさか、ここまでひどいヘビー・スモーカーだったとはねえ」

　　　皿に載っている、べっ甲色の奇妙なものを見て、ため息をつく。

女「そりゃ、煙草好きの男は珍しくないけど、なにも魂が燻製になるま
　　で吸わなくたっていいじゃないの。あの人、きっと女より煙草が好
　　きなのね。ミケリーナや、おいで」

　　　女、部屋の隅にうずくまっている猫を呼ぶ。

女「ほーら、これあんたにあげるわ。せっかく手に入れた魂だけど、あ
　　たしは、スモーク風味は好きじゃないのよ」

　　　ミケリーナ、のどを鳴らしつつホグホグと若い男の魂を平らげる。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　終り