殺

今だ――
　私は巨大な塀のかげから、向こうの柱めがけて走り出した。全力で行けば、見つからないだろう。足には自信があるのだ。
　ところがそのとき、私の姿を発見した者がいた。連中に捕まったら、まず助からない。殺されるに決まっている。実際、今まで多くの仲間が、目の前で殺されてきた。
　ある者はひねりつぶされて内臓を破裂させ、またある者は手足をもがれた挙句、不気味な音をたてて押しつぶされた。急流に呑まれて溺死した者もいる。業火に放りこまれ、一瞬にして消えた者もいた。
　なぜ、自分達はこんなめにあわされるのだ。なぜ、やつらはこんな殺戮権を所有しているのだ。いったい私達が何をしたというのだ。何もしやしない。ただ、生きるために暮らしているだけだ。その辺をうろつき、腹が減れば食い、眠ければ寝る。しかし、そんなことは連中にとって、関係ないのだ。やつらは、私達を見てただ言う。
「気持ち悪い」

　鋭い一撃が頭をかすった。どうやって殺す気だ。何やら白っぽい棒切れを持っている。まず殴り倒すつもりか。その後、どうするのか。一本の足に激痛が走った。関節から先が無残につぶされている。よろけながら、近くの壁際に寄った。攻撃は執拗に続く。硬い棒で顔をえぐられ、目だまが飛んだ。何も悪いことをしていないのに、なぜだ、なぜだ・・・・・・。

　激しい痛みと苦しみにもがき、朦朧とした意識の中で、ふと思い出した。はるか昔、これと同じことがあった。ただし、殺されかかっているのは自分ではない。他の蜘蛛である。
　そして、殺そうとしているのは、人間だった自分である。丸めた古カレンダーで、逃げ惑う一匹の蜘蛛を、めった打ちにしているのだった。蜘蛛の足はつぶれ、触覚はちぎれ、胴体は裂けた。それでも蜘蛛は逃げようとしていた。苦しみから逃れようと必死にさ迷っていた。
　しかし、容赦なく自分はとどめを刺し、カレンダーごとゴミ箱に捨てたのだ。
　そこまで思い出したとたん、すべては消えた。