葬

　正面玄関の柱時計が十二回鳴った。暗い。
　昼間は、壁に掛かったガラス張りのケースに収まって、じっとしている。べつに苦痛でもなんでもない。
　自分は蜘蛛の仲間らしい。しかし、やっぱり蜘蛛ではないから、糸は出ない。出たところで、こんな巨体は支えきれないだろう。ごそりごそりとケースから這い出る。壁伝いに床に落ちると、ケシャッという音がする。尖った毛で覆われた身体をもって、一階の廊下を徘徊する。
　カシ、カシ、カシ、カシ、カシ・・・
　この校舎は木造だ。だからそんなに滑らない。
　なんのためにこんなことをしているのかは知らない。
　海にいた頃・・・海ってなんだ。自分はなぜ生きている。とっくに死んだはずなのに。何年ここにいるのだ。
　カシ、カシ、カシ、カシ、カシ・・・
　ずっと前は、ふよふよした冷たいところにいた。目の前を、いろんなものが流れていった。生き物だ。生き物がたくさんいた。人間は見なかったと思う。初めて人間を見たのは、いつだったか。自分を見て「でかい」「大きい」なぞと発音していたような気がする。
　そういえば、この学校を卒業したという人が来ていた。孫の参観日だと言っていた。いつのことだったか。だいぶ前、もうずいぶん前だ。忘れた。
　カシ、カシ、カシ、カシ、カシ・・・
　二階へ上がる。階段を昇る。昇りにくい。それでも昇る。特に必要があって昇るわけではない。それでも昇る。他にすることもないから昇る。
　やっと昇りきって、また廊下を徘徊する。
　カシ、カシ、カシ、カシ、カシ・・・
　この学校は、とり壊されるらしい。「壊す」とどうなる。
　かすかすした空気の中で、自分は考えている。いったい、あそこにいた頃、ああ、あそこが海だ。自分は、水底を歩いたり浮いたりしていた。あの頃は、こんなに考え事をしただろうか。おぼえていない。
　玄関の柱時計が三回鳴った。

＊

　校舎をとり壊す前、校内の備品はすべて外に運び出された。自分もガラスケースごと壁からはずされた。
　そのとき、作業員の手がすべり、ケースは床に落ちて割れた。ついでに自分もかっぱりと割れた。甲羅は二つに、目玉は転がり、ハサミと足は関節の部分で分れた。
　役場の人間は、貝殻のように分解したこの身を大きなダンボールに入れ、海へ運んだ。そして、沖へ出てから箱を開け、葬った。
　自分は、しばし波間を漂った。冷たい。ばらばらになった全身がしんしんする。いつか嗅いだような匂いだ。やがてゆわんゆわんと波の下に沈んだ。
　自分は喜んでいるのか、悲しんでいるのか。それすらもわからなかった。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　《終》