暗い話


　子供の頃から、暗いところを怖いと思ったことはない。したがって、どこに何があるかわかっている自宅の廊下や階段などは、電気もつけずに暗がりをのし歩く。要するに、つけたり消したりがめんどうなのだ。

　中学生時代のある夜中、勉強の合間にトイレへ行った。やはり電気をつけずに真っ暗な廊下を通り、階段を降りた。階段を降りてまた廊下があったのだが、突然何かにつまずいて転んだ。同時に、なにやら大きなフリスビーのごときものが、ごわんごわんごわんと音をたてて床を舞っているようだった。そのフリスビーもどきが私の足を引っ掻いてゆき、けっこう痛かった。こんなもの、昼間はここになかったはずだ。
　しかし、今さら電気をつけて、その正体を見極めるのも面倒だし、我が行く手をさえぎった物体をもとの位置に戻すのも癪だった。かくして私は、あくまでも暗がりをつき進み、用を足して再び暗がりの廊下と階段を戻ったのであった。
　翌朝、見てみると、プラスチックの漬物樽が廊下の隅に鎮座していた。さては、昨夜私に吹っ飛ばされたのは、このフタであったか。
　私は、夕べの出来事を母に話した。私の顔をじっと見つめていた母は、一拍置いて、ぶはっと吹きだした。母は母で今朝、なんでこんなところに漬物樽のフタが、転がっているのかと怪しんだそうだ。

　暗がりと言えば、もうひとつ思い出がある。
　これも中学生の頃で、雪の季節だった。夜、台所から蜜柑を自分の部屋に持ち込んだ。その十個だか二十個だかの蜜柑を、いったん机に置いてふと思った。せっかく冷えている蜜柑だが、一個目、二個目を食べているうちに、他のものはぬるくなってしまうだろう。ぬるい蜜柑はあまり好きではない。
　そこで机のそばの窓を開け、屋根の上に蜜柑を並べた。外は寒い。いわば、天然の冷蔵庫である。ところがこの冷蔵庫の床は、屋根であるゆえ傾斜している。手をすべらせたはずみで一個が転がると、後を追うように他のすべても転がり落ちていった。
　あわてて暗い階段と廊下を駆け抜け、私は庭に出た。アイスクリームのように積もった雪の庭には、しかし蜜柑の姿は見えなかった。ただ、随所にぽつぽつと穴があいている。蜜柑爆弾があけたものらしい。おかげで、発掘するのは案外楽だった。
　さて、人知れず失敗し、人知れず始末したと思っていたが、この発掘現場を実は、母親に目撃されていた。これまたあとで、こってりと笑われた。
　夜、突然屋根からボコロンベコロンという音がしたので、カーテンを開けて外を見たら、なぜか蜜柑が降ってきた。普通は、驚くだろう。そのうち自分の娘があたふたとやってきて、雪に埋まりつつ懐中電灯片手に、せっせと埋もれ蜜柑を穿り返しているのだ。さぞ異様な眺めだったに違いない。

　暗い話ならまだある。
　これまた中学生の頃、冬にひどい風邪をひき、鼻つまりで苦しんだ。鼻で息ができないので、やむをえず口でする。そうすると、喉を痛める。なんとか開通させるべく、夜その日の勉強をする前に、メンタムを鼻の下に塗りたくった。
　スースーヒヤヒヤと気持ちがいい。さっきほどは鼻も詰まらないし、かさかさに傷んだ肌にもいいように思えた。ついでに、鼻の上にも塗った。ちょうど、そこの皮膚がむけていたからである。
　ところがこれは失敗だった。メンタムの刺激は案外強く、鼻のてっぺんに塗られたものは目を直撃した。ヒリヒリチカチカして、とても目を開けてはいられない。
　ティシューでぬぐい取ってもヒリヒリは止まらず、まだ九時前だというのに、目を閉じたままおとなしくしているはめになった。そして、暗闇の中、ベッドに寝転んで刺激が去るのを待つうち、眠ってしまった。
　さっさと顔を洗えばよかったのだと気づいたのは、翌朝になってからだった。

　こう思い出してみると、つくづく間抜けな中学時代を送っていたものである。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　《了》